増毛のなりたち
カモメのいる場所、という意味のアイヌ語「マシ・ケ」がその由来となっている増毛は、ニシンの漁場として250年ほどの歴史を有します。明治から昭和初期にかけて漁で賑わった名残を、今も町で見ることができます
増毛へのアクセス
留萌から2時間に1本ほどの沿岸バスで約45分。
自家用車の場合は深川留萌自動車道から国道233号、国道231号経由で深川から約1時間15分
賑わいの名残を訪ねて
平成28年(2016年)12月4日に廃線となったJR留萌本線の留萌~増毛間。その終着駅だった増毛駅は、単線の簡素なプラットホームと小さな駅舎のみの終点でした。引き込み線もなく、レール止めがぽつんとあるだけで、北の終着駅の風情たっぷり。
読みはもちろん「ましけ」ですが、「ぞうもう」とも読めてしまうことから、頭髪が薄くなってきたかも?と薄毛が気になる人に人気の願掛けスポット。入場券を買い求めて記念にする人も多かったのですが、今やその賑わいは見られません。
そんな閑散とした旧増毛駅前ですが、ここにひときわ目を引く建物が。なかなか重厚な3階建の旅館富田屋ですが、残念ながら営業はしておらず、見学などはできません。昭和8年(1933年)建造。
そのすぐ隣には「風待食堂」の看板を掲げる多田商店があります。この風待食堂は昭和56年(1981年)公開の映画「駅 STATION」で、ロケ地として登場した建物です。
連続通り魔を追う刑事(高倉健)が容疑者を捕えるために容疑者の妹(烏丸せつこ)を尾行するのですが、その妹が勤める店がこの食堂でした。食堂営業は当時からしておらず、あくまでも映画の設定がそのまま生かされており、現在は観光案内所(季節営業)になっています。館内には映画の各シーンのポートレートが展示されています。
駅前の通りを西に進むと右手に見えるレトロな建物も、かつては旅館でした。白字の増毛舘の文字が特徴的で、昭和7年(1932年)に建設されたものです。現在はぼちぼちいこか増毛舘の名で、ライダーたちが集う宿になっています。
すぐ近くにも立派な建築が。
旧商家丸一本間家の堂々たる木骨石造りの店舗と石蔵です。重要文化財に指定されている豪商の店舗と住居で、ニシン漁全盛のころの隆盛を思わせる贅沢な装飾と重厚感たっぷりの建物は、明治35年(1902年)に落成しました。屋根瓦の全てに家紋が刻印されており、呉服商に始まりニシン漁の網元、海運業、酒造業など時代を経るごとに家屋は拡張されて行きました。
稲葉町1丁目の交差点を右折して少し進んだ左手には、國稀酒造(くにまれしゅぞう)が所有する千石蔵。内部はニシン漁の船や漁具を展示しており、無料で見学ができます(冬季は閉鎖)。
来た道を戻り、駅前通りを右折すれば國稀酒造の蔵元にたどりつきます。こちらは日本最北の造り酒屋。
佐渡出身で小樽の呉服店で働いたのちにこちらに移り住んだ本間泰蔵が、呉服雑貨・海運・ニシン漁などさまざまな事業に着手する中、明治15年(1882年)に醸造免許鑑札願を役所に提出して酒造りをも始めました。
最初は旧商家丸一本間家で醸造していましたが手狭になったため、現在地に酒蔵を開設し現在に至っています。
酒蔵は見学可能で、試飲もできます。
続いて、次の交差点を左折し、今度は南へ下っていきます。4つ目の辻を右折すると総合交流促進施設元陣屋が見えてきます。
元陣屋とは幕末期に秋田藩が幕命を受け開設した北方警備の拠点のこと。対ロシアのための防衛と見張りの場です。
その跡地にあたる場所に建てられた施設なのでこの名が付けられました。こちらの一部スペースは増毛町の郷土歴史資料館となっています。
来た道を少し戻って、増毛厳島神社の前を通り、役場の前の道まで出ます。そのまま留萌方面にてくてく行けば木造の立派な校舎が目に入ります。街を一望する小高い丘に建つこの校舎は旧増毛小学校校舎。
昭和11年(1936年)に建てられたもので、現存する中では道内でも最大規模を誇る木造校舎です。平成23年(2011年)まで現役で校舎として利用されていました。