小坂のなりたち
文久元年(1861年)に小坂村で鉱脈が発見され、南部藩が開発をスタートしたことにより、鉱山の町として発展してゆく秋田県小坂。十和田湖にほど近い山のふもとの小さな町は意外な顔を覗かせてくれます。
小坂へのアクセス
東北道小坂ICから県道2号を東へ進むとまもなく小坂市街地。小坂川を渡ってすぐ左折北上すると小坂町役場に到着します。
鉱山の町に並ぶ洋館
人口5,000人強の小さな山裾の町、秋田県小坂町。小坂町役場から北上して左折すると映画館があります。こんな小さな町に映画館?と思ってしまうのも無理はありませんが、シネコン隆盛の今にあって現役で営業している映画館なだけに、なんとも風情たっぷり。
その名も花園館。パッと見ただけではそれほど目立たない建物なのですが、2階部を見上げると洋風の装飾がほどこされています。明治年間に創業し、昭和初期に改築された建物が現在も使われています。
単館上映の映画館が小坂にあるのは、それだけ観客がいたから。小坂の町には多くの労働者で賑わった時代があったのです。
南部藩によって開発がスタートした鉱山でしたが、遅々としてそれは進まず、明治17年(1884年)に藤田組(現・DOWAホールディングス株式会社)へ払い下げられました。
明治35年(1920年)、小坂黒鉱自熔製錬が操業を開始したことで、沈滞ムードにあった小坂の鉱山は湧きあがります。明治末期から大正前期にかけて、わが国最大の銅山として賑わいをみせるほどの成長を見せました。
その賑わいと活況の象徴が小坂鉱山事務所です。明治38年(1905年)建築のこの木造3階建ての洋館は藤田組の本部事務所として建てられました。ルネッサンス風の豪勢なつくりで、玄関ホールのらせん階段は美麗。
長らく事務所として使用されていましたが、工場拡張のため町に移管、現在地に移築されました。
ちなみにこちらには「モダン衣装室」というコーナーがあり、さまざまなドレスを着てレトロ気分を味わうことができます。
また、敷地内には旧小坂鉱山病院記念棟が往時の姿のまま残されています。
旧小坂鉱山病院記念棟
明治41年(1908年)に竣工した小坂鉱山病院の霊安施設。昭和24年(1949年)に病院本館が焼失したのちも変わらず、移築されることもなく残っています。2間四方の霊安室と3畳敷の和室を配しています
小坂鉱山事務所から旧小坂駅へ続く通りは明治百年通りと命名された小坂のメインストリートです。平成13年(2001年)には環境省選定の「かおり風景100選」に指定されました。
鉱山事務所から明治百年通りを挟んで向かいには天使館の建物が。もとは聖園天使園と呼ばれていて、昭和6年(1931年)に小坂鉱山で働く工員の子供たちの教育施設としてスタートしています。
ルネッサンス風の玄関と上げ下げ窓が特長で、キリスト教の影響を強く受けた建築です。藤田組の援助を受けて建設されました。
明治百年通りを南へ進めば左手に豪奢な建物が見えてきました。康楽館です。これは明治43年(1910年)に小坂鉱山の厚生施設として建てられた芝居小屋。木造の芝居小屋では日本最古を誇り、現在も現役で使われています。
正面は下見板張りの白塗りで、やはりこちらにも上げ下げ式窓が並ぶ洋風建築ですが、内部は桟敷や花道、切穴(すっぽん)など日本の伝統色を強く残しています。国指定重要文化財。
そのまままっすぐ行けば旧小坂駅に突きあたります。
これは大館市の大館駅から小坂駅に至る鉄道の駅で、小坂製錬が運営していた小坂鉄道の貨物路線。
残念ながら平成21年(2009年)に廃止されてしまいましたが、駅舎やレールはそのまま残されています。
県道2号、通称樹海ラインを西へ戻り小坂IC方向へ進むと、左へ折れたところに中小路の館(なかこうじのやかた)があるので、そちらも見ておきましょう。
中小路の館
明治18年(1885年)に町の地主の工藤作兵衛の邸宅として建てられた邸宅。延べ床面積は124坪を誇り、住宅部分は突起部のない直屋造りで、屋根には「箱棟」を乗せ、茅で葺いていました