全国伝統歴史 町並み散歩/古い城下町や宿場町、古民家を写真で観光

飫肥天と厚焼き玉子をパクッ
城下町「飫肥」の町並み

宮崎県 飫肥(城下町)
武家商家民家

 飫肥のなりたち

伊豆に領地があった伊東氏は藤原氏の系統の武将でした。6代目の伊東祐持のときに日向国に所領を与えられ移り住みます。一方、薩摩の島津氏は伊東氏の南下に目を光らせており、その拠点となったのが飫肥城でした。

 飫肥へのアクセス

宮崎自動車道田野ICから県道28号、県道430号経由で約1時間。大手門近くに駐車場があります。
鉄道ではJR日南線飫肥駅下車。駅前で電動アシストレンタサイクル(1日500円)を借りてもいいですね

 飫肥の城下町を歩こう

大手門の飫肥観光駐車場にある販売所でまずゲットしておきたいのは、観光マップ。これ、ただの観光マップではありません。マップ代金1,100円を払えば、飫肥の7箇所の有料見学施設に全て無料で入場ができる上に、商品無料引換券が5枚もついています。
飫肥天(おびてん)や厚焼き玉子、そのほかさまざまのプチ食べ歩きアイテムが。食べ物だけでなく、小物などのお土産品の引き換えもできるので、ぜひ利用しましょう。

飫肥天

飫肥天

さつま揚げによく似た練りものですが、豆腐が入っているため歯触りが柔らかく、ふわっとしています。少し甘めの味付けがされているのも独特。
城下町飫肥を代表する味です

飫肥城は薩摩の島津氏の支配下にありましたが、伊東祐国(いとうすけくに)に始まるたび重なる攻撃に陥落、孫の10代義祐(よしすけ)の時代のことでした。しかし天正5年(1577年)島津氏に敗れて国を失い豊後国に落ちのびます。
ちなみに、義祐の孫は天正遣欧少年使節で知られる伊東マンショ(祐益)です。

義祐の子である祐兵(すけたか・すけたけ)は豊臣秀吉の家臣となり、天正10年(1582年)の山崎の戦いにおいて活躍。さらに天正15年(1587年)の九州平定で道案内役を務め、一度は奪還された飫肥城を与えられました。これにて再度伊東氏が飫肥城の主、つまり飫肥藩の初代藩主となったわけです。

以降の280年間、5万1,000石の飫肥藩は伊東氏14代で治藩されることになります。
なお、祐国が飫肥に侵攻してから祐兵が飫肥城主となるまでなんと103年かかっており、これだけ長期間に渡っての攻防戦は日本では他に例がありません。

豫章館

大手門の駐車場から北にすぐの位置にあるのが豫章館(よしょうかん)です。伊東家の家臣伊東主水(もんど)の屋敷で、明治2年(1869年)に飫肥14代藩主伊東祐帰(すけより)が飫肥藩知事に任命され、こちらに移り住みました。屋敷の南側には広大な庭園が広がっています。

すぐ先には大手門です。昭和53年(1978年)に復元されたもので、樹齢100年以上の飫肥杉が4本使われ、木造渡櫓(とろ)、本瓦葺きの重厚な佇まいを誇っています。

大手門

飫肥城内に当時の建物は残っていません。飫肥藩ゆかりの歴史的資料を展示している「飫肥城歴史資料館」や書院造りの御殿として再現された「松尾の丸」といった見学施設があります。

飫肥藩は領内に農地が少ないため、2代藩主祐慶(すけのり)はスギの植林事業に着手、藩財政の基礎を固めました。現在でも飫肥杉はこの地の特産となっています。

再度大手門まで戻り、進路を東へとります。

飫肥

左手に見えてきたのは小村寿太郎生家です。小村寿太郎(こむらじゅたろう)は桂内閣で2度外務大臣を務めた人物。
明治38年(1905年)日本側全権としてポーツマス条約に調印し日露戦争を終結させ、明治41年(1908年)には「日米通商航海条約」を締結して関税自主権を回復して不平等条約の改正に成功したことで良く知られています。
生家は小村家が破産したため明治期に一度、大正期に再度移築されました。

小村寿太郎生家

更に進めば「旧伊東伝左衛門家」、こちらは無料で見学できます。

旧伊東伝左衛門家

旧伊東伝左衛門家

19世紀初めの建築と推定される武家屋敷で、幕末の城下絵図によると伊東伝左衛門家とあります。枯山水の庭園を備え、飫肥の武家屋敷の典型的なスタイルを残しています

四つ角を左へ曲がると次には振徳堂(しんとくどう)が姿を現します。

振徳堂

振徳堂は飫肥藩の藩校。13代藩主祐相(すけとも)が天保2年(1831年)に開設したもので、小村寿太郎もここで学びました。祐相はこのほかにも海防のために砲台を建設したりもしていますが、幕末の飫肥藩の財政は困窮を極めていました。

来た道を戻り、国道に出る手前で右折します。しばらく歩けば鯉の遊泳が。

鯉

そばには飫肥の豪商であった山本猪平が明治40年(1907年)ごろに建築した商家が当時のまま残っています。

旧山本猪平家

旧山本猪平家

この土地は小村寿太郎生家に隣接していて、小村家の土地を山本猪平が買い取って新築したものです

旧山本猪平家の南隣に小村寿太郎の生誕地碑もあります。

画像引用:(財)宮崎観光コンベンション協会様 (http://www.kanko-miyazaki.jp/photo)