全国伝統歴史 町並み散歩/古い城下町や宿場町、古民家を写真で観光

酒蔵巡りと商家の佇まいの風情
陣屋町「日田」の町並み

大分県 日田(城下町・陣屋町)
商家民家蔵元

 日田のなりたち

古代から豪族の大蔵氏が日田城を拠点にして権勢を誇っていましたが、16世紀に滅亡します。安土桃山時代には豊臣家の直轄地になり、その後江戸幕府の天領となり、城を廃止し、陣屋が置かれました。

 日田へのアクセス

大分自動車道日田ICから約1km。豆田地区の手前の無料駐車場(月隈公園)に止めて、歩きましょう。
鉄道ではJR久大本線日田駅から徒歩15分、もしくは駅前の観光案内所でレンタサイクル(最初の1時間200円、以降1時間毎に100円)をゲット!

 町並みと酒蔵見学

JR日田駅に降り立ったら、まず手配したいのはレンタサイクル。駅舎の隣にある土蔵造りでなまこ壁の「日田市観光案内所」で借りましょう。自転車にまたがったら、進路を北に取ります。

日田観光案内所

県道48号を北へ向かい、城内川にかかる中城橋を渡れば古くからの町並みが残る豆田(まめだ)地区です。

寛永16年(1639年)、日田は幕府直轄地(天領)となり、陣屋(代官所)が置かれます。さらに明和4年(1767年)には代官より格上である西国筋郡代が置かれ、九州における最重要地となりました。郡代役所は江戸、高山、笠松とここ日田にあった役所です。
政治の要所となった日田には各地から商人も集まり、日田の町は大いに賑わいました。

豆田の町並み

上町通りから八幡町で魚町通りに折れます。ほどなく廣瀬資料館に到着します。ここは廣瀬本家という商家であり、屋号は博多から居を移したため「博多屋」を名乗っていました。

廣瀬資料館

廣瀬資料館

郡代から両替商を命ぜられていた廣瀬家の古文書や雛人形を展示しています。儒学者の廣瀬淡窓(ひろせたんそう)の生家であり、また現大分県知事広瀬勝貞氏の生家でもあります

一度上町通りまで戻り、左折して再び北上します。
右手に日本丸館(にっぽんがんかん)が見えてきました。店舗名は「岩尾薬舗」で、いわゆる薬局。安政2年(1855年)に岩尾半蔵が「伏見屋岩尾古雲堂」を開業したことにはじまります。

日本丸館

建物の名前にも冠されている「日本丸」は一子相伝で岩尾家に伝わった万能薬。牛黄(ごおう)、麝香(じゃこう)、羚羊角(れいようかく)、真珠など動物漢方と人蔘などの薬草を石臼で挽いて、丸め、色づけし、乾燥させたものです。仏前で使用した動物の魂を供養してから販売していたそうです。

日本丸館

また建物も江戸時代から昭和初期にかけて増改築を重ね、展望楼を持つ形となったため木造4層3階建ての複雑なつくりになっています。

さらに北上し室町まで来ると豆田町も外れです。花月川(かげつがわ)の手前に目立つ煙突が聳えています。薫長酒造(くんちょうしゅぞう)です。

薫長酒造
薫長酒蔵資料館

薫長酒蔵資料館

元禄15年(1702年)に建てられた一番古い蔵など全5棟の蔵が建築当時の姿で残っている貴重な酒蔵群です。文政9年(1826年)築の酒蔵の2階を酒蔵資料館として開放しています。酒造の勉強のあとは試飲もできちゃいますよ

 みゆき通りを往く

薫長酒造をあとにしたら、花月川に沿って西へ歩き、左折してみゆき通りに入りましょう。ここからもまた良い雰囲気の町並みが南へ続きます。

赤司日田羊羹本舗

赤司日田羊羹本舗

武家だったが赤司夢帰次(あかしむきじ)が菓子職人修行ののち、福岡県久留米から日田に移り、明治24年(1891年)に店舗を開きました。以来、羊羹ひとすじです

そして「赤司日田羊羹本舗」の斜め向かいには「市山亭懐古館」 (しざんていかいこかん)。

市山亭懐古館

市山亭懐古館

明治のころに「和風鹿鳴館」と言われた名残りがある200年以上続いた料亭を資料館として開放しています。往時のコレクションを見学できます

魚町に入る筋の交差点の前にある「天領日田資料館」の隣には古くは古代筑後国の領主であった草野本家(くさのほんけ)の屋敷が控えてます。

草野本家

大分県内最古の商家である「草野本家」は、豊臣秀吉の九州征伐で落城し離散した草野一族の一派が日田に移り住み、屋号は「枡屋」を称し、蝋燭製造や両替商を営んでいました。

草野本家

草野本家の一般公開は年4回のみ。「お雛祭り」「端午の節句・日田川開き観光祭」「日田祇園祭」「天領祭り」の時期に公開しています。

お雛祭り

お雛祭り

42体で1セットの御殿雛。お雛祭りを観光イベントにした先駆は「草野本家」。 江戸幕府8代将軍吉宗の時代の享保雛から明治時代まで178体の雛人形を所蔵しています

草野本家の前の道はクランク状に曲がっています。城下町によく見られる枡形と呼ばれる作りで、わざと見通しを悪くして敵を待ち伏せし、距離感を狂わせるためだとされています。

枡形

城内川を渡れば豆田の町並みはおしまいです。このまままっすぐ行けばJR日田駅までの帰り道の途中に咸宜園(かんぎえん)がありますので、最後に寄って行きましょう。

咸宜園

咸宜園は博多屋の屋号を名乗っていた廣瀬家の生まれである江戸時代の儒学者廣瀬淡窓(ひろせたんそう)が開いた私塾です。
身分や階級制度の厳しい時代にあって、入門時に学歴年齢身分を問わない「三奪法(さんだつほう)」により、すべての門下生を平等に教育しました。

門下生には兵学者・蘭学者であり討幕運動で活躍した大村益次郎や、幕府の異国船打ち払い令を批判し開国を主張した蘭学者の高野長英らがいます。

画像引用:ツーリズムおおいた様(http://www.visit-oita.jp/album)