全国伝統歴史 町並み散歩/古い城下町や宿場町、古民家を写真で観光

江戸勝りの評判を受けた
商業の町「佐原」の町並み

千葉県 佐原(その他)
商家民家洋風建築

 佐原のなりたち

紀元前643年に創建されたと伝わる香取神宮。その祭典の時に使用する土器、浅原(さわら)を造って納めていたことから「さわら」という地名になったと言われています。

 佐原へのアクセス

東関東自動車道佐原香取ICから県道55号を西に進めば香取神宮です。佐原の町では「伊能忠敬記念館駐車場」に駐車しましょう(無料)。
鉄道ではJR総武線成田線経由で約100分、佐原駅下車。佐原区循環バスのりかえ。日曜祝日のみ約1時間毎に運行。大人300円、高校生以下100円、小学生以下無料。

 いにしえ偲ぶ神宮から

佐原香取ICからほどなく西へ行けば香取神宮の門前町に行きあたります。香取神宮は全国に400以上もの末社を抱える香取神社の総本社で、その歴史は古く、平安時代のころには単に「神宮」の名で呼ばれていました。
「神宮」とは伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の三社のみに適用された名です。

香取神宮

本殿、中殿、拝殿が連なる権現造の社殿は、鹿皮のような色をした桧皮葺の屋根に黒塗りの美麗極まる姿。正月三が日には50万人以上の参拝客で賑わいます。

参拝を済ませたら、再び車に戻り、西へ走ります。佐原の市街地に入り、「伊能忠敬記念館駐車場」に駐車して、あとは歩きましょう。

 伊能忠敬を知る

まずは伊能忠敬記念館で忠敬について学んでおきます。伊能家は、この地で代々名主を務める造り酒屋。延享2年(1745年)千葉県九十九里町で生まれた忠敬は17歳のときに伊能家10代当主として婿養子になりました。

伊能忠敬記念館

忠敬は家業を継ぎ名主としても活躍し、隠居後50歳になって江戸に発ちます。そして71歳になるまで足かけ17年、10回にわたり全国の測量を実施。完成した地図大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)は極めて精度が高く、日本の国内基本図の礎となります。

しかし、その地図はあまりに詳細な地図だったため、国防上の問題から幕府が流出を厭い、江戸紅葉山文庫に隠匿されました。ところが文政11年(1828年)紅葉山文庫を管理する高橋景保(たかはしかげやす)が、長崎オランダ商館の医師であるシーボルトにこれを最新の世界地図と引き換えに贈与してしまいます。景保は逮捕され、獄死し、シーボルトは国外退去となりました(シーボルト事件)。

シーボルトはオランダに帰国後、伊能図をメルカトル図法に修正した「日本人の原図および天文観測に基づいての日本国図」を刊行し、その精度の高さで世界中に驚きを与えたのです。

伊能忠敬旧居

記念館の前にある小野川を挟んで伊能忠敬旧居があります。忠敬が17歳から50歳まで過ごした家で、土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が今でも残っています。

伊能忠敬旧居

 水運で拓けた町

旧居の前に流れる小野川に架かる橋は樋橋(とよはし)と呼ばれ、もとは江戸時代の前期に開発された佐原村用水を、小野川の東岸から西岸の水田に送るための大樋でした。
その樋の上に板を渡して「樋橋」となり、戦前にコンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、川にジャージャー溢れ落ちるため「じゃあじゃあ橋」の通称で親しまれています。

じゃあじゃあ橋

今では観光用に日中は30分に1回水が落ち、「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。

小野川は利根川東遷事業(とねがわとうせんじぎょう)と呼ばれる利根川の付け替えによる河川改修により接続され、物資は利根川を経由して江戸へ運ばれていきました。その拠点となったのが佐原だったのです。

小野川

物資を陸に荷上げする「だし」と呼ばれる河岸施設が多く作られ、佐原は東北諸藩の年貢米やその他の物資の集散地として繁栄します。「お江戸みたけりゃ佐原へござれ佐原本町江戸まさり」と評されるほどでした。

今では水運は陸運にとって代わられてしまいましたが、伊能忠敬旧居前にある舟着き場からは観光用の小野川舟めぐりを愉しむことができます。

小野川舟めぐり

冬はこたつ舟も登場。水上のこたつから「じゃあじゃあ橋」の水音を聴くのも一興です。

小野川舟めぐり

小野川沿いにはいくつもの歴史的価値のある建物が立ち並んでいます。
忠敬橋(ちゅうけいばし)のたもとに位置するのは中村屋商店。安政2年(1855年)に建造された店舗で、荒物雑貨屋を営んできました。

中村屋商店

すぐそばには正文堂書店(しょうぶんどうしょてん)。登り龍、下り龍を配した看板が目を引きます。明治13年(1880年)の建造です。

正文堂書店

さらに川を下れば上州屋酒店も良い按配で雰囲気を醸し出しています。懐かしいポスターやお祝い用の角樽を店内に展示しています。

上州屋酒店

明治31年(1898年)佐原に鉄道が開通しました。舟運は下火になりますが鉄道による物資輸送で佐原は依然賑わいます。

明治13年(1880年)に開業した旧川崎銀行佐原支店は旧三菱銀行佐原支店に引き継がれ、大正3年(1914年)に建造された赤レンガの建物は今では三菱館として観光案内所に。内部は吹き抜けになっており、2階周囲に回廊が設置されています。

三菱館

以後、昭和8年(1933年)に成田線が延伸されると、鉄道における佐原の優位性は低くなり、舟運の衰退とともに、佐原の賑わいは萎んでいきます。市街地の中心も駅周辺に移ったため、小野川近辺は以前の町並みが残る結果になりました。

三菱館から忠敬橋を通り、そのまままっすぐ西へ進みましょう。途中で一度右へ折れてさらに進むと諏訪神社の参道があります。127段の石段を登れば嘉永6年(1853年)に造営された本殿です。この石段は、登る途中のどこから眺めても本殿が同じ形状に見えるように設計されているのだとか。

諏訪神社

諏訪神社の近くには伊能忠敬の像があります。散策の最後に見ておきましょう。

伊能忠敬銅像