全国伝統歴史 町並み散歩/古い城下町や宿場町、古民家を写真で観光

醤油蔵とともに歩んだ町
在郷町「湯浅」の町並み

和歌山県 湯浅(在郷町・港町)
蔵元商家民家

 湯浅のなりたち

昔は海岸線が内陸にまで入り込み、水(ゆ)が浅く広がっていた様子から「ゆあさ」の名がついたとも言われています。のち、熊野三山が人々の信仰を集めたことで、湯浅は熊野街道の重要な宿駅となりました。

 湯浅へのアクセス

自動車では湯浅御坊道路有田ICから国道42号、県道23号経由約10分で湯浅市街地へ。
電車ではJRきのくに線湯浅駅下車。駅前でレンタサイクルを借りると便利です。

 醤油の町をめぐる

JR湯浅駅前にある観光案内所でパンフレットなどをもらいつつ、レンタサイクルを利用して町をめぐりましょう。進路を北にとって進んだところにある道町通りと寺町道りの交差点には道標が残っています。

立石の道標

立石の道標

湯浅は熊野古道の宿場。建立は天保9年(1838年)で、往時の街道の賑わいを示しています。北面には「すぐ熊野道」、東面には「きみゐでら」(紀三井寺)、 南面には「いせかうや右」(伊勢、高野山は右)の文字が彫られています

道標を左折して進むと右手に深専寺(じんせんじ)です。山門左手には「大地震津なみ心え之記」と記された石碑があり、嘉永7年(1854年)に発生した安政東海地震と安政南海地震の様子と、避難すべき経路が記述してあります。

深専寺

鍛冶町通りに出て右折すれば、二階の黒漆喰が見事な白子陶器店。横方向に筋が入ったデザインは大正時代に流行ったものです。

白子陶器店

まっすぐ北上していきましょう。左手に湯浅おもちゃ博物館の屋号を掲げた栖原家の建物があります。 こちらは明治初期に建てられた建築で、昭和期までは醤油を醸造していました。現在はなつかしのおもちゃが所狭しと並ぶ憩いの場。

栖原家

右手に6つの虫籠窓がそれぞれ違った表情を見せる「竹林家」を過ぎて、北町通りを左折するところにも真新しい伝統建築が。こちらは岡正(おかしょう)。以前は酒屋を運営していましたが、廃業後、キレイにお色直しされ、休憩所とまるとも海産の販売所として活用されています。

岡正

岡正の向かい側には津浦家が鎮座しています。内傳商店(うちでんしょうてん)という麹屋だった建物で、麹と手作り行灯の展示を行う博物館になっています。

津浦家

そのまま進み、かつて醤油屋を営んでいた戸津井家を過ぎて、加納慶弘家へ。大正10年(1921年)に建てられ、繊細な意匠の連子格子と黒漆喰の壁の両側には袖壁が。木瓜型の虫籠窓もポイントです。

加納慶弘家

続いて左手の赤い建物。北町ふれあいギャラリーです。

北町ふれあいギャラリー

北町ふれあいギャラリー

明治時代に建てられた民家で、現在は町並み散策の休憩所を兼ねたギャラリーとして整備されています。絵画、写真、陶芸、手芸などの作品を展示しています

ギャラリーの向かいにあるのは太田家。こちらは老舗の金山寺味噌屋で、戦前までは醤油を醸造していました。

太田家

すぐそばには天保12年(1841年)創業の角長(かどちょう)。吉野杉の木桶が170年近くを経った今も使用され続けている醤油蔵です。蔵の天井や梁や桶には一面に醤油製造に絶対不可欠な酵母が白く付着していて、時代を感じさせます。

角長

店の裏側にまわると堀があります。大仙掘と呼ばれ、ここから醤油の樽を積んだ船が出入りしていました。

大仙掘

角長の職人蔵は慶応2年(1866年)に建てられた仕込蔵。こちらは現在、醤油醸造に用いられた道具などが展示されています。

大仙掘

進路を南にとって進めば、甚風呂。大正期に建てられ、昭和の終わりまで営業していた銭湯です。塀の菱形など個性的な外観が特長的。現在は歴史民俗資料館として公開されています。

甚風呂

画像引用:湯浅町産業観光課様(http://www.yuasa-kankokyokai.com/) 湯浅町まちづくり企画課様(http://www.town.yuasa.wakayama.jp/) 663highland様(http://ja.wikipedia.org/wiki/ %E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yuasa09s3200.jpg) 和歌山県広報課様(http://www.pref.wakayama.lg.jp/ prefg/000200/photomuseum/index.html) 和歌山県 有田振興局 地域振興部様(http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130400/)