全国伝統歴史 町並み散歩/古い城下町や宿場町、古民家を写真で観光

大阪発祥地である上町台地
寺町「天王寺七坂」の町並み

大阪府 天王寺七坂(その他)
 

 天王寺七坂のなりたち

大阪の歴史発祥地である上町台地は大阪城のあたりから地面が起伏し、大阪市南部の帝塚山方面へ伸びる台地。天王寺区あたりの夕陽丘(ゆうひがおか)エリアは寺社が多くあり、寺町を形成しています。

 天王寺七坂へのアクセス

現地へは自家用車ではなく地下鉄で。大阪市営地下鉄谷町線・千日前線谷町九丁目駅3番出口を利用します。
谷町九丁目駅は梅田駅から地下鉄御堂筋線で9分 なんば駅で千日前線に乗り換え4分。もしくは東梅田駅から谷町線で10分。

 なにわ七つの坂めぐり

地下鉄谷町九丁目駅の3番出口を出たら、千日前通りを西へ進みましょう。3つ目の路地を左へ曲がります。目印の看板などはありませんが、舗装がアスファルトではなく石畳になっており、ちょっと路地を入ったところに真言坂(しんごんざか)と彫られた石柱がありますので、見落とさないように。
この真言坂は天王寺七坂の一番北に位置する坂で、千日前通りと生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)を結ぶ坂。

真言坂

真言坂は昔、このあたりに真言宗の仏教寺院が十坊あったことからその名がつきました。それらの坊は明治初期の廃仏毀釈で廃寺となっています。
坂を登り切った先が生國魂神社の北門です。門をくぐって境内を抜けます。

生國魂神社は「いくたまさん」の愛称で呼ばれ、本殿と幣殿を一つの屋根で繋ぐ「生國魂造」という、ここにしかない独特の建築が見られます。惜しむらくは鉄筋コンクリート造りであることですが、これまでに何度も火災や戦災で焼失しており、やむを得ない判断だったのでしょう。

生國魂神社

神社の境内を抜けて路地へ戻ります。齢延寺(れいえんじ)の門を横目に南へ進むと十字路に出ます。ここを右へ折れましょう。十字路の角にあるのが銀山寺(ぎんざんじ)です。
豊臣秀吉の大坂城城下町建設の一環で建てられた寺の一つで、当初は大福寺と呼ばれていましたが、中国の金山寺にも劣らぬほどだと秀吉がこの名に改めました。銀山寺の向かい側には齢延寺の立派な山門があります。

銀山寺

この道は源聖寺坂(げんしょうじざか)。今度は下り坂で、途中が石段になっています。名の由来は坂を下りきった入口が松屋町筋にあたり、北手に源聖寺があるから。

源聖寺坂

松屋町筋を左に折れましょう。少し南下すると左手には萬福寺(まんぷくじ)。16世紀末に創建され、幕末には新撰組の大坂駐屯地として使用されました。本堂の裏にあった納屋は当時、牢として使われ、多くの志士が入牢していました。

萬福寺

しばらく南へ進むと左手に学園坂があります。この坂は天王寺七坂には入っていませんが、学園坂を加えて天王寺八坂と呼ぶ人もいるそうです。
もう少し南へ進みましょう。再び左手に幅の狭い石畳の道が出てきます。口縄坂(くちなわざか)です。口縄とは蛇のことで、坂の下から見上げた起伏が蛇のように見えるからだとか。

口縄坂

坂を登りきったところには、「夫婦善哉」「世相」などの大阪を舞台にした作品を遺した織田作之助(おださくのすけ)の「木の都」の一節が刻まれた文学碑があります。

そこから路地をくねくねと折れつつ南下していくと、右前に多宝塔が見えてきます。この多宝塔は聖徳太子によって創建され、その後、織田信長の石山本願寺攻めの際に焼失しましたが、慶長2年(1597年)に豊臣秀吉により再建された大阪市最古の木造建造物です。

多宝塔

この多宝塔を抱えるのが「愛染さん」の名で親しまれている愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)です。四天王寺の四箇院のひとつである「施薬院」として創設されたもので、毎年6月30日、7月1、2日には、大阪の三大夏祭りのひとつとして有名な愛染祭が行われています。

興正寺

そのまま西へ行けば下り坂に。愛染坂(あいぜんざか)です。この坂は石畳ではなく、コンクリート舗装なため、さほど風情らしいものはありません。

愛染坂

坂を下りた路地を左に折れ、またまっすぐ南下すると今度は左手に登る石段があります。清水坂(きよみずざか)です。
坂を登ったところには、京都の清水寺 を模して建立されたという清水寺(きよみずでら)があります。

愛染坂

新清水寺とも呼ばれるこの寺には大阪市内で唯一の天然の滝である玉出の滝(たまでのたき)があります。ただ、滝と言っても水量はごくわずかで、滝らしさはあまりありません。それでもこの滝の水に打たれて修行する人もいるそうです。

玉出の滝

また路地を南へ下ると、右手が石畳舗装となった十字路があります。ここを右折した先には安居神社(やすいじんじゃ)。
菅原道真が大宰府に流罪となったときにここで休息をとったと言われ、道真を祀っています。百貨店の大丸の創業者の下村彦右衛門(しもむらひこえもん)が信仰していたことから大丸天神との別称も。

安居神社

ここにも坂があり、やはり安居神社へ向かう坂ということで天神坂(てんじんざか)の名が冠せられています。

天神坂

天神坂を下って再び松屋町筋に出ました。そのまま松屋町筋を南に歩くと国道25号線との交差点に突き当たります。左折して国道25号線に入ると逢坂(おうさか)です。

逢坂は、逢坂の関になぞらえて呼ばれるようになったとされていますが、聖徳太子と物部守屋(もののべのもりや)双方が信じる方法を合わせた方法を採用したとされる合法四会(がっぽうがつじ)に近い坂であることから、合坂(おうさか)と命名されたという説もあります。

逢坂

とはいえ、逢坂は車両が行きかう国道なだけに、他の6つの坂と比べるとかなり風情は乏しく、逢坂の碑だけがその名残をとどめています。

大阪観光局(公財)大阪観光コンベンション協会様(http://www.osaka-info.jp/photo_library/)