加悦のなりたち
城下町として町割りをされた加悦は、すぐにその役割が廃れ、代わって奈良時代から続く織物の生産の町として、江戸時代中期以降は京都西陣の技術を取り入れて発展していきました。
加悦へのアクセス
北近畿タンゴ鉄道宮津線野田川駅からタクシーで約15分
自家用車の場合は京都縦貫自動車道与謝天橋立ICから国道176号経由で約15分
ちりめん街道のにぎわいを訪ねて
ちりめんとは絹織物の一種で、縦糸にはまっすぐな糸を使い、横糸に右回りに強くねじった糸と左回りに強くねじった糸とを用いて交互に織ったものです。表面に「しぼ」と呼ばれる凹凸が表れるのが特長。
TVの時代劇「水戸黄門で、黄門さまが「越後のちりめん問屋の隠居」と名乗っていましたが、その「ちりめん」がまさにコレです。越後と並び、ここ丹後もちりめんの名産地なのです。
丹後ちりめんの歴史は古く、天平11年(739年)に丹後で織られた絹織物が聖武天皇に献上され、正倉院に現存しています。
江戸時代に入り、京と丹後を往来する問屋であった木綿屋六右衛門が京・西陣の織屋に、門外不出となっていたちりめんの技法の教えを乞いました。
その後、加悦の手米屋小右衛門(てごめやこえもん)と、三河内(与謝野町野田川)の山本屋佐兵衛が西陣に派遣されて技術を習得。享保7年(1722年)に丹後に持ち帰った技術をもとに織り上げた「ちりめん」が、現在の「丹後ちりめん」の始まりです。
それゆえに加悦はちりめんの町として栄え、街道筋は「ちりめん街道」の名で親しまれています。いわば京都府のシルクロード。
ちりめん街道散策のスタートは旧役場前から出発しましょう。
ちりめん街道の北側の入口に建つ旧加悦町役場は昭和4年(1929年)に完成したもので、甲子園球場を設計した、当時の大林組設計部長(のちの大阪ガス顧問)の今林彦太郎の設計によるものです。
この建物は現在、与謝野町観光協会が入居していますので、パンフレットなどの入手はこちらで可能。乗用車で加悦入りする場合は隣接の駐車場に駐車して散策を開始しましょう。
天神橋
旧加悦町役場のそばを流れる加悦奥川に架かる橋。昭和9年(1934年)に設置され、船着き場の役割をも担っていました。当時は現在よりも流水量が多く、船が充分に往来できました。橋のたもとには川へ下りる階段もあります
橋を渡ってそのまま進めば右手に井筒屋旅館。
明治中期に創業し、現在は昭和8年(1933年)に再建された建物が現役の旅館として使用されています。こちらの二階ではちりめんの町らしく着物を展示していますので、宿泊やランチでの食事で立ち寄った際に見学させてもらうとGOOD。
井筒屋旅館のすぐそばに佇んでいるこじんまりとした家屋は「手づくり工房・遊」です。ちりめん小物や工芸品などを販売しています。加悦の土産はここでゲットしましょう。
その先、右手には杉本家住宅があります。嘉永元年(1848年)に建造された「ちりめん街道」でも最も古い部類にあたる建物。こちらの家主は明治末期に電気事業を興し、郵便局や医院としても使われた家屋です。
左手には白壁映える旧川嶋酒造酒蔵が見えます。酒蔵らしく窓が少ない造りになっていて、昭和初期の酒蔵の風情を良く残しています。残念ながら現在は酒造事業は行われていませんが、近隣の酒蔵で製造された地酒やちりめん工芸品などを販売しています。
また敷地内には酒蔵を改築したカフェ「ちりめん茶屋」も。ここで一服するのもいいかもしれません。
続いて右手、「ちりめん街道」のシンボル的存在である旧尾藤家住宅へ。尾藤家は江戸時代前期に加悦に定住したと言われ、江戸後期にはちりめん問屋を営んでいました。
この建物は文久3年(1863年)に建築されたものに、11代尾藤庄蔵が昭和3年(1928年)に今林彦太郎の助言を受けて2階を増築したものです。西洋建築に関心を抱いていた彼は増築部分を洋風にしています。
突き当たりを左に折れて再び右に折れるあたりに、白壁の蔵があります。この蔵はなんと銀行の蔵。かつてあった丹後産業銀行です。
なぜ銀行に蔵が?と思われるかもしれませんが、融資の担保に反物をとり、それを保管していたためです。
歩いてきた道を挟んで向かい南手にも白壁の蔵があります。ちょうど辻の角にあることから角屋と呼ばれており、廻船問屋で財をなし、京都にちりめんの店を出した下村家の住宅です。
そのまま街道を南に下って行きましょう。骨董品に興味がある人は「天風庵」を覗いてみてもいいかもしれません。
宝巖寺の石灯篭を過ぎた左手には、この辺りでは珍しい「うだつ」を構えた家があります。(杉本家住宅)
少し進むと今度は右手にかわいらしい洋風建築が。木造2階建入母屋造で桟瓦葺の洋館、旧伊藤医院診療所です。大正6年(1917年)ごろの建設と言われています。漆喰でかたどられた洋風のレリーフは必見。
すぐ隣には、丹後ちりめんの始祖である手米屋小右衛門の本家(杉本家住宅)。主屋は江戸時代の建物を大正初期に移築したもので、敷地内に3棟の織物工場が建てられました(西山工場)。現在でも稼働する明治期の工場であり、貴重な文化遺産です。家の前には「縮緬発祥之地」の石碑が立っています。