全国伝統歴史 町並み散歩/古い城下町や宿場町、古民家を写真で観光

鯉が泳ぐ山陰の小京都
城下町「津和野」の町並み

島根県 津和野(城下町)
武家商家民家洋風建築

 津和野のなりたち

山陰の小京都「津和野」は「つわぶきの生い茂る野」がその名の由来。弘安5年(1282年)元寇警備のため石見に入った吉見頼行が着任後、津和野城を築城し、約30年かけ山城を完成。以後城下町として発展します。

 津和野へのアクセス

中国自動車道六日市ICから国道187号と国道9号経由で約1時間20分。
またはJR山口線津和野駅下車。
津和野は徒歩でのんびり散策するのが吉。もしくはレンタサイクルを借りるのも手。

 城下町津和野

慶長5年(1600年)関ケ原の戦で西軍が敗退します。14代吉見広行は主家の西軍総大将だった毛利氏の萩移封に伴って、津和野城を坂崎直盛(さかざきなおもり)に明け渡しました。

直盛は津和野の町を大いに整備しました。津和野城を改築し、新田開発、和紙の原料である楮苗を栽培、灌漑用水路建設、またそれによる蚊の大量発生に備えて鯉の養殖を手掛けるなど、現在残る津和野の町並みの基礎を築いたのです。

鯉が泳ぐ堀川

しかしそんな直盛ですが、運は彼に味方しません。
豊臣秀頼の死後、未亡人となった千姫(せんひめ)の今後を徳川家康より依頼された直盛。あちこち駆け回り公家との縁組を図りますが、本多忠刻(ほんだただとき)との縁組が突如決まってしまいます。メンツを潰された直盛が千姫を奪回しようと計画したものの幕府にバレてしまい、結局直盛は自害してしまうのです。(千姫事件)

直盛が失脚すると、因幡国鹿野城主の亀井政矩(かめいまさのり)が藩主として津和野に入ります。
それ以降は産業開発と教育の振興に力を注いだ藩政を敷き、藩は15万石までに成長。
その後、やはり教育を励行する8代藩主の亀井矩賢(かめいのりかた)が、天明6年(1786年)藩校養老館を創設します。養老館の建物は武術教場と書庫が現存し、そのうちの武術教場は津和野町の民俗資料館になっています。

養老館

 維新を作りだした町

天保10年(1839年)に藩主となった亀井茲監(かめいこれみ)も同様に学問を奨励しました。国学者の岡熊臣(おかくまおみ)を養老館の初代国学教師に登用し、津和野国学隆盛の礎を築いたほか、江戸深川にある屋敷を売却して得た1万両を学問に投資するなど、目を見張る政策を行います。

こうした教育への投資が大きな萌芽の日を迎える日が来ました。
啓蒙思想家の西周(にしあまね)の誕生です。

西周旧居

西周旧居

西周が21歳まで暮らした家。茅葺きの小さな母屋と、勉強部屋に使った土蔵、周囲を囲む土塀が残っています

周は12歳で養老館に入学し、以後洋学研究に専念。明治6年(1873年)に福沢諭吉らと「明六社」を結成し、明治初期の文明開化政策の推進などに大きな啓蒙的役割を果たしました。「哲学」「心理学」「感覚」などの言葉を作ったのも彼の功績のひとつです。
そして周の親戚にあたるのが代表作「舞姫」や「高瀬舟」で知られる文豪森鴎外。彼もやはり津和野で生まれ育っています。

森鴎外旧宅

森鴎外旧宅

木造平屋建、瓦葺きで鴎外が幼少時代を過ごした家です。4畳半の勉強部屋や、藩医の家だったこともあり調剤室も残っています

 津和野を歩く

津和野遠景

石州赤瓦の美しい屋根が立ち並ぶ津和野の町を見下ろす形で鎮座しているのが、太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)です。日本五大稲荷のひとつで、稲荷ではなく「稲成」と表記します。
安永2年(1773年)に7代藩主亀井矩貞(かめいのりさだ)が津和野城の鬼門にあたる太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から勧請を受けて創建しました。

太皷谷稲成神社

神社をあとにして、山を下ると津和野川の清流に突き当たります。津和野大橋のたもとには町最大の祭である鷺舞の像が立っています。鷺舞は津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事です。

鷺舞の像
鷺舞

鷺舞

祇園祭の7月20日に町内11箇所で、27日に9箇所で舞われます。 鷺舞は天文11年(1542年)に11代城主吉見正頼が京都の八坂神社から伝わった山口の祇園会から津和野へと移し入れました

鷺舞の像からほど近くには、多胡家老門と大岡家老門があります。多胡家、大岡家ともに津和野藩の家老を代々任された家柄。当時の家老の権勢を物語る堂々とした造りの門構えです。

大岡家老門

このあたりは殿町と呼ばれ、なまこ塀と堀川に泳ぐ鯉など、津和野のシンボル的スポットとなっています。その殿町にあって異彩を放つのが津和野カトリック教会

津和野カトリック教会

城下町の古い町並みに溶け込んだ西洋ゴシック建築が目を引きます。昭和6年(1931年)にドイツ人ヴェケレーによって建てられたもので、内部が畳敷きというのも一風変わっていますよね。

画像引用:津和野町様(http://www.tsuwano.ne.jp/kanko/)