倉吉のなりたち
伯耆国の国府・国分寺・国分尼寺があった倉吉は、山名氏が打吹山城を構えたのち、南条氏の支配を経て幾度が支配者が変わりました。後世、荒尾氏によって陣屋が置かれ、商工業の集積地として栄えていきます。
倉吉へのアクセス
鉄道ではJR鳥取駅から山陰本線特急で約30分または各駅停車で約45分、倉吉駅下車。駅南口のバスターミナルから西倉吉方面行きバスで18分、白壁土蔵群前下車すぐ。
自家用車の場合は、米子自動車道湯原ICから国道313号経由で約50分
白壁と赤瓦の町
観光の前にまずは情報集めということで赤瓦十号館 倉吉観光案内所に行きましょう。自家用車で倉吉入りしたなら、ここのすぐ隣に観光駐車場がありますので、こちらを利用すれば便利です。
この建物はもともとラムネ屋さんだったもので、壁面に掲げられた竹馬サイダーの文字がレトロを感じさせてくれます。
赤瓦十号館 倉吉観光案内所
観光パンフレットはこちらで。ほかにもレンタサイクルや手荷物預かりのほか、雨天時の傘・車椅子の貸し出しも行っています
北へ進路を取り、最初の十字路を右折します。しばらく進むと右手に「赤瓦十四号館 あかり舎cafe'」。続いて白壁鮮やかな赤瓦十三号館 白壁倶楽部があります。
赤瓦十三号館 白壁倶楽部は明治41年(1908年)に建てられた第三国立銀行(だいさんこくりつぎんこう、現・みずほ銀行)の建物を利用したカフェレストラン。木造の疑洋風建築で屋根は黒瓦、壁は漆喰塗となっています。
十三号館を左に曲がり進むと、玉川の橋のたもとに出ます。橋の手前を再び左折して川沿いを歩きましょう。
左手に白壁の建物が見えて来始めます。「赤瓦三号館 竹蔵 創作工房中野竹藝」の前を過ぎれば、右手にあるのが赤瓦一号館。大正時代に建てられた醤油の仕込み蔵を改築したものです。
玉川を挟んだ左手には江戸、明治期に建てられた白壁土蔵群が建ち並んでいます。白壁の漆喰は防水の役目を果たし、下半分を覆う焼き杉板は耐火性と風雨からの耐久性強化のためのものです。
上から見ると、屋根瓦にも特色があるのがよくわかります。山陰地方で多く見られる島根県石見地方の石州瓦を起源としており、1200℃以上と高い焼成温度で造られているため、凍害に強い特性があります。
赤瓦一号館の斜め向かいにある赤瓦二号館は、もとは酒蔵でした。今では倉吉に伝わる張り子の「はこた人形」の工房になっており、厄除けのために親が子供に持たせたものです。こちらでは人形の絵付け体験もできます(要予約)
十字路まで出ると角に赤瓦五号館 久楽があります。
赤瓦五号館 久楽
古民家を改修して開放しており、1階は民芸品や土産物などの物販、2階はカフェになっています
そのまま玉川沿いにまっすぐ進みましょう。しばらく白壁の建物が続きます。突き当たりまで来たら左折し、すぐにまた突き当たりを左折すると右手に豊田家住宅。
豊田家住宅は呉服商で切妻造平入り、桟瓦葺きの町屋建築です。明治33年(1900年)に建造されたもので、こちらでは歴史講談を聞くことができます(有料)。
直進して左手に見えたのは高田酒造の建物。天保14年(1843年)建築の醸造所で、倉吉の町屋の特徴をよく残しています。こちらでは酒蔵見学ができます。
さらに東へ進めば赤瓦六号館 桑田醤油醸造場です。
赤瓦六号館 桑田醤油醸造場
京風の商家造りの構えですが、裏手には土蔵と工場があり、そこで醤油の醸造を行っています。明治10年(1877年)創業の老舗で味わうしょうゆアイスクリーム、ポン酢アイスクリームは格別の味かも
さらに蔵元が続きます。赤瓦七号館 元帥酒造(げんすいしゅぞう)です。創業は一段遡ること嘉永元年(1848年)の清酒蔵。
明治40年(1907年)に山陰行啓に随行した東郷平八郎が訪問した蔵で、屋号はその故事に由来しています。
赤瓦七号館の前の十字路を右に折れれば、スタート地点の赤瓦十号館です。