宿根木のなりたち
大坂と北陸、蝦夷地を結ぶ北前船の寄港地として江戸時代から明治時代にかけて栄えた港町「宿根木」。明治になって松前藩の入港制限が撤廃されてからは、行き来する船が増え、この地は隆盛を見せます。
宿根木へのアクセス
新潟港から佐渡汽船フェリーもしくはジェットフォイルで両津港へ。港から車で国道350号、県道45号経由で1時間半。
または直江津港から佐渡汽船フェリーで小木港へ。港から車もしくはバスで15分。
港の路地を歩く
佐渡島の南端近くにある宿根木は、ぐるっとカーブを描く県道45号に東西南の三方を囲まれた集落。東西100m、南北200mほどの狭いエリアにぎっしりと家が建ち並んでいます。
県道45号カーブの南端近くにある「宿根木千石船の里」から集落に入っていきましょう。
竹でできた門があり、そこをくぐれば集落内。現在と過去の境界線のようでもあります。
石畳のこの細い路地は世捨小路という不思議な名前がつけられています。誰によっていつごろ名づけられたのかも今となっては判らないそうで、付近から採掘された石を使った石畳は、人が通る中央部がすり減っていて、時代の流れを感じさせてくれます。
宿根木で葬儀があると、その参列は最後にこの世捨小路を通るのだそうです。
この世捨小路に柴田収蔵(新発田収蔵)の生家もあります。収蔵は大坂へ向かう船中で蘭学者に会ったことから蘭学に興味を持ち、蘭方医学を学び、嘉永5年(1853年)に新訂坤輿略全図と呼ばれる世界地図を完成させました。その精巧さは見事なものです。
狭いスペースに家屋が密集しているこの宿根木は28.5haが重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に指定されていて、地区内に残る伝統的建造物は106棟にものぼります。
うち2軒が内部を公開しています。
その1軒が清九郎家。北前船稼業で栄えた船主の住居で、19世紀中期の建築です。
もうひとつが金子屋です。宿根木の民家のほとんどが板張りの壁で2階建ての建築ですが、やはりこちらも同じ。金子屋は19世紀前半の建築とみられ、船大工職人の家でした。
集落を横断する形で流れる小川が称光寺川です。昔はこの水で野菜や衣類を洗ったのですが、今では護岸され、その面影はありません。
こんな小さな川ですが、弘化3年(1846年)に大洪水が発生し、家屋が30~50軒も流出しました。
また、宿根木の建物の特長は屋根にも見ることができます。それは一目瞭然、屋根に置き石をしているのです。石置木羽葺屋根と呼ばれる独特なもの。
称光寺川のたもとで、三角形の敷地いっぱいに建つ2階建ての民家は三角屋と呼ばれています。「塩」の看板が示すとおり、以前は塩を売っていました。
三角屋から称光寺川に沿って歩き、念仏橋を渡って称光寺のたもとを抜け、十王坂を上がれば県道45号に出ます。県道の左手には佐渡国小木民俗博物館があり、大正9年(1920年)に建てられた木造校舎をそのまま残した博物館となっています。こちらには実物大に復元された千石船「白山丸」も屋外展示してありますので、最後に見ておきましょう。