奈良井のなりたち
戦国時代に武田氏の定めた宿駅となった奈良井。その集落の成立はさらに時代を遡ると考えられています。その後、江戸幕府は伝馬制度を設けて中山道67宿が定められ、奈良井はその宿場のひとつとなりました。
奈良井へのアクセス
長野自動車道塩尻ICから国道19号で35分。もしくは中央自動車道伊那ICから国道361号、19号経由で40分。
鉄道ではJR中央本線奈良井駅下車すぐ
日本最長の宿場町
奈良井宿は中山道67宿のちょうど真ん中にあって、木曽11宿の中では最も標高が高い土地に位置します。そばに難所の鳥居峠を控えることから、峠越えで立ち寄る旅人で栄え、その賑わいは奈良井千軒と称されるほどのものでした。
国道19号を走り、奈良井まで来ると奈良井川に懸った大きな橋が見えてきます。「道の駅奈良井木曽の大橋」にある木曽の大橋です。
道の駅なのになぜか商業施設がないという変わり種ではありますし、大橋も冬季は通行止めになるといういまひとつ存在意義がよく分からない施設ではありますが、それはさておき、駅裏にある駐車場に車を駐車したら、歩いてJR奈良井駅のほうへ向かいます。
JRの線路をくぐる地下通路を抜けるとそこは奈良井宿。街道の沿道にはびっしりと古い家並みが立ち並んでいます。
実は奈良井宿は日本で最長を誇る宿場町。その長さは南北約1kmもあるのです。北の端には「八幡宮」が、南の端には「鎮神社(しずめじんじゃ)」が鎮座しており、街道の山寄りには寺院が点々とあって、「奈良井五ヶ寺」と総称されています。
賑わいを残す奈良井の宿場
奈良井宿は北から「下町」「中町」「上町」の3つのブロックに分かれています。今いるJR奈良井駅周辺は「下町」です。
店先の看板はさまざまですが、漆器店の看板がいくつかあり目を引かれますね。木曽漆器は中山道とともに発達してきた伝統工芸品です。木曽節にも唄われたヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコの木曽五木をはじめとした豊かな森林に囲まれており、漆器製作に適した条件が整っていたため盛んになりました。
さて、「下町」から「中町」へ入り、「徳利屋」の屋号を持つ旅籠の手前を右折すると「大宝寺」の境内に入ります。ここにはマリア地蔵という不思議な組み合わせの地蔵があるのです。
マリア地蔵
マリアを模した地蔵で、腕には十字架を持った子供を抱いています。この山奥の地にも隠れキリシタンが存在したという証左ですが、地蔵の首がないのが、キリスト教への弾圧の大きさを示しているかのようです
奈良井の宿場には街道沿いに計6箇所の水場があります。旅人の喉をうるおすためであり、また同時に生活用水でもありました。
そばには上問屋資料館があります。
上問屋資料館
幕府の役人や諸大名などのために、幕府の定めた数の馬と人足を常備する役を問屋と言いました。奈良井ではこの上問屋がその任にあたり、手塚家が代々務めてきました。古文書や日常生活に使用した諸道具など400点余りを展示。国の重要文化財に指定されています
中町から上町へ
ここまで街道はひたすらまっすぐ直線の道だったのですが、突然クランクになります。このクランクから先が「上町」です。クランクは鍵の手と呼ばれます。
鍵の手
鍵の手は宿場内に道の屈曲をわざと造り、敵の直進を防ぎ、見通しを妨げるための防衛施設としての役割がありました
鍵の手を過ぎると右手に中村邸が見えます。漆櫛の商いをしていた中村邸は、奈良井宿の典型的な民家造りの家です。
民家の多くは、二階を少しせり出した出梁造(だしばりづくり)を持ち、二階の手すりの黒ずんだ格子、その両脇につけられた白漆喰の袖うだつがあります。庇(ひさし)をおさえた猿頭(さるがしら)と呼ばれる木は、奈良井ならではの特長です。
蕎麦屋さんがありますね。信州といえばやはり蕎麦。ざるでも一枚手繰っていきましょうか。この先にはもう歴史民俗資料館と鎮神社しかありませんから、ここらでお開きということで。