馬籠のなりたち
馬籠は中山道43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町。明治28年と大正4年の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失しましたが、その後復元され現在に至ります。
馬籠へのアクセス
中央自動車道中津川ICから国道19号経由で20分。もしくは 中央自動車道神坂PA内にある「馬篭バスストップ」から徒歩15分で行くこともできます。
中山道と馬籠
中山道は江戸日本橋を起点に、京都まで530kmの街道で、別名木曽街道または木曽路とも呼ばれています。街道沿いには全部で69の宿場が設けられていました。
中山道は東海道に比べて遠回りでしたが、大井川の川留めや桑名一宮間の船旅などの障害がなかったことで、比較的安全な東西を結ぶ大動脈として旅人の往来が続いてきました。とはいえ中山道も決して旅人に優しい道ばかりではありません。馬籠宿と落合の間の十曲峠は険しく、木曽の桟(かけはし)は危険な箇所として恐れられていました。
馬籠宿は江戸板橋を1番目とすると43番目の宿場になります。江戸からの距離は330km強。街道が山の尾根に沿った急斜面を通り坂のある宿場が最大の特長です。
馬籠の坂道を行く
中山道は参勤交代の西国大名34家の指定路でした。また大阪二条城番や日光例幣使も中山道を多く利用。皇女、親王家、姫宮の降嫁の際も中山道を利用していました。これゆえ中山道は姫街道とも呼ばれていました。
馬籠の南端から坂を登り始めると、道路が直角に二度曲がります。ここを桝形と呼び、道路の山手側は切り土になっています。
枡形道路に平行する現在の急坂の道路は、枡形道路の不便を解消するため、明治38年に改修したものです。枡形には大きな水車があります。
枡形
枡形は城郭の枡形を模したもので、宿場の防衛上設けられました
さらに坂を登り、中間地点あたりまで来ると本陣の跡です。
本陣とは言わば高級旅館。大名や旗本、幕府役人などの宿泊所として指定された家のことです。原則として一般人を泊めることは許されていませんでした。
本陣では貴賓客専用の部屋が設けられ、ここを上段の間といって他の部屋より床が15cmほど高く作られていました。また専用の風呂場とお手洗いがあり、これらの施設は本陣の所有者の家族といえども使用禁止だったそうです。
本陣跡
現在は馬籠に生家があった小説家である島崎藤村を顕彰する博物館の「藤村記念館」になっています。藤村の代表作のひとつ「夜明け前」は馬籠宿が舞台
また、本陣跡から少し坂を戻ったところには清水屋資料館があります。
清水屋資料館
清水屋は島崎藤村の「嵐」にでてくる「森さん」こと原一平の家。こちらでは藤村の書簡、掛軸をはじめ、宿場の生活の品々が展示してあります
本陣が高貴な人の宿泊施設であるのと対をなすのが、旅籠や商人宿です。旅寵は食事を提供してくれる宿屋で、木賃宿と呼ばれる素泊まりの宿もありました。馬籠には8軒ほどの旅籠があったそうです。