有松のなりたち
江戸時代初期、東海道を整備するべく尾張藩が桶狭間の戦いのあった桶狭間村近くに作った村が有松。知立宿と鳴海宿の間に位置しましたが、隣の宿場との距離が近いため宿場業だけでは生計が立たなかった村民は…
有松へのアクセス
場所柄、マイカーよりも電車でのアクセスが吉。名鉄名古屋本線名鉄名古屋駅から準急で20分 有松駅下車
名古屋駅から電車でGO
都会住まいだとなかなか古い街並みに触れる機会がありませんが、名古屋にお住まいなら結構すぐそばに素敵な町並みが残っています。名鉄名古屋駅から名鉄電車で約20分。有松駅で下車しましょう。
駅の北側には大きなショッピングモールがそびえ、いかにも都市近郊の駅前の風情ですが、南側には古くからの町並みがしっかりと。
駅から南へ歩けばほどなく旧東海道。現在では愛知県道222号緑瑞穂線に指定されています。旧来の道そのままなので幅員が狭く、車両は南東方向への一方通行となっています。
街道沿いには江戸時代から続く町並み。
まず左手に服部家住宅の長い板塀が目に入って来ます。服部家は寛政2年(1790年)創業の絞問屋で、屋号は井桁屋です。広い間口に二階建の主屋で、井戸屋形、土蔵、門などが文化財に指定。江戸末期の建造で、連子格子、なまこ壁、卯達と当時の防火対策を今に残しています。
服部家家業の絞問屋とはこの地の名産である有松絞(ありまつしぼり)を取り扱ったもの。
宿場町として出発した有松宿でしたが、いかんせん隣の鳴海宿との距離が近すぎて茶屋として営業では食べていけなかったことと、農作地が少なかったことで、困った村民が名古屋城の築城のため豊後国(大分県)から来ていた者たちが着ていた絞り染めの着物に着目します。
有松は木綿の産地に近いこともあり、豊後絞りを参考に独自に絞りの研究を進め、完成した絞り染めの手ぬぐいを街道を行き交う人々に売るようになりました。これが有松絞のはじまりです。
服部家の斜め向かいに建つのが有松・鳴海絞会館です。絞りの歴史資料や技術が実物を使ってわかりやすく展示されています。伝統工芸士による絞実演も必見の価値あり。
有松絞の町、有松では10月第1日曜に開催される有松祭り(天満社祭礼)で山車が引かれ、大勢の見物客で賑わいを見せています。山車の上でくりひろげられる「からくり人形」の実演が見ものです。
上の写真の布袋車(ほていしゃ)のほかに、唐子車、神功皇后車の3つが有松にはあり、そのうちのひとつが有松山車会館で常時展示されています。
踵を返して来た道を戻り、服部家住宅からさらに進むと、左手に立派な建物が現れます。竹田家住宅(竹田嘉兵衛商店)です。
この店の創業者、竹田庄九郎(たけだしょうくろう)こそが有松に絞り染めを導入した立役者。
主屋、蔵3棟、茶室、書院造りの座敷からなりたつ豪勢な造りを誇り、二階の壁は黒漆喰の塗籠、庇には明治期のガス灯と、豪商ぶりを示しています。
有松の家々は当初茅葺きでしたが、天明4年(1784年)の大火で町の殆ど全戸が焼失したため、瓦葺き、塗籠造り、なまこ壁の重厚な造りに変貌しました。竹田家住宅に続いて見えてくる岡家住宅もまた同様の様式で建てられています。
岡家住宅は一棟の建物としては有松で一番大きく、二階の庇下の塗籠造りが波状になっています。
そして、すぐ先にも小塚家住宅。一階が連子(れんじ)格子と腰はなまこ壁、二階は虫籠窓で、白漆喰の塗籠造りには妻側にうだつがあるのが特長です。
小塚家住宅のすぐそばには、明治6年(1873年)に建造され、神功皇后車が収められている西町山車庫がありますので、それも見ておきましょう。