全国伝統歴史 町並み散歩/古い城下町や宿場町、古民家を写真で観光

宿場に残る往時の賑わいを探しに
宿場町「赤沢」の町並み

山梨県 赤沢(宿場町)
商家民家

 赤沢のなりたち

日蓮宗の身延山久遠寺からその信仰の山である七面山へいたる道は、周囲を1,000m級の山々に囲まれた険しい土地。その途中にできた集落が唯一の宿場として重宝され、近世後半以降、巡礼者でにぎわいました

 赤沢へのアクセス

JR身延線下部温泉駅から奈良田温泉行き早川町乗合バス(1日4便)で約25分 七面山登山口・赤沢入口下車 徒歩約30分
自家用車の場合は新東名高速新清水ICから、国道52号、県道37号経由で約1時間30分。幅員が狭い道路なので運転に注意を

 参詣の道中にあった宿場

よくもまあこんな山の中にと感嘆してしまうような場所に赤沢の集落はあります。標高は500~600m。周囲に1,000m級の山々がそびえる土地ゆえに、深山幽谷の忘れ去られた村という雰囲気が漂う、そんな環境なのです。

斜面にへばりつくかのように30戸ほどの民家が建ち並ぶ赤沢の集落は、かつては宿場でした。なぜこんな場所に宿場が?と不思議に思ってしまいますが、その理由は簡単です。
日蓮宗の総本山である身延山久遠寺(くおんじ)と、その奥の院にあたる七面山(しちめんさん)を結ぶ「身延往還」の中間地にあったから。徒歩で移動するしかない久遠寺と七面山参拝の信者たちの唯一の宿泊の場だったのです。


▲身延山久遠寺(紫色ピン)、赤沢(ピンク色ピン)、七面山(黄色ピン)

古くは鎌倉時代からこの地に人が住んでいたようで、16世紀には17戸、近世以降は30戸ほどの民家が建ち、現在もその数はほとんど変わっていません。
明治期から昭和初期の最盛期には1日に1,000人もの巡礼者が赤沢に宿泊し、宿だけに収まらず、民家や納屋まで動員して捌いたといいます。
今ではその賑わいが嘘のように静まり返り、秘境の村の様相を呈しているのです。

赤沢

県道37号の「七面山登山口」手前の橋を渡らず、左折してどんどん登って行きましょう。こんな細い道を進んで大丈夫?と思う気持ちを抑えつつ進むと、わずかな人家が見えますが、そこはスル―。さらに登れば視界が開けて赤沢の集落に到着します。

集落は上下2段構えになっており、上と下で100mもの標高差が。山の斜面にへばりついた格好ゆえのものです。
上側の集落の下方にある妙福寺のわきの駐車場に車を停めて、ここから歩きましょう。集落内の道路も狭いため、路上駐車は厳禁。

妙福寺

妙福寺はもとは真言宗でしたが日蓮宗に改宗し、その後は七面山の管理を任されるようになります。現在も、七面山の鍵は妙福寺にあります。

そのまま車道を徒歩で登り、ヘアピンカーブを越えてひたすら歩くと、若山牧水の歌碑があります。大正13年(1924年)に友人とともに七面山参拝をした牧水は、この地に宿をとり、風景などに感動した31もの短歌を残しています。赤沢に集落内には全部で3つの牧水の歌碑があります。

牧水の歌碑

ここからは車道を逸れて、集落を縦貫する石畳の道を下って行きましょう。この風情ある石畳は昔からあるというわけではなく、地元の有志によって三十年以上前に敷設されたものです。今ではすっかり風景に溶け込んで、赤沢の象徴となりました。

石畳

しばらく集落を見下ろす形で石畳の道を下って行くと、牧水が宿泊した「えびす屋」の建物が見えてきます。明治期には9軒の旅館があり、大勢の参拝客でごった返していましたが、えびす屋をはじめほとんどの宿は廃業してしまい、現在営業している宿は赤沢には1軒しかありません。

大黒屋

そのまま下り、「川戸屋」のところで車道と交差します。右折すれば妙福寺に戻ります。曲がらずそのまま石畳の道を歩きましょう。幕末から明治初期に建てたものを明治43年(1910年)に改築した大黒屋の脇を過ぎ、「萬屋」「喜久屋」「升屋」「信濃屋」と風情ある建物の隙間を縫って石畳を下ります。

大黒屋

集落で唯一の飲食店であるそば処武蔵屋が見えてきました。平日は予約のみ受けており、土曜、日曜、祝日のみの営業です。地元のお母さんたちが、美味しい水で打ったそばはなかなかの味。

そば処武蔵屋

武蔵屋のすぐ下で再び車道と交差します。ちょうどそこに佇むのが清水屋です。こちらも以前は旅館でしたが、現在は休憩所・観光案内所として開放されています。

清水屋

清水屋のちょうど裏手にあたるところに建つ大阪屋。軒下にずらっと掲げられた「マネギ板」には各地から訪れる講中(信者たちのグループ)の名前が記されています。
大阪屋の前にも牧水の歌碑があります。また、そばには大阪屋の番頭さんの住まいだった長屋を改築した赤沢資料館があり、民具などを展示しています。

大阪屋

大阪屋から西へ向きを変え、50mも歩みを進めれば江戸屋が。江戸と大坂が目と鼻の先の距離ゆえに、ここは日本一短い東海道だと評されたりもしました。
江戸屋は現在でも営業を続けている赤沢唯一の旅館です。

江戸屋

画像引用:文化遺産オンライン様(http://bunka.nii.ac.jp/Index.do)、 公益社団法人やまなし観光推進機構様(http://www.yamanashi-kankou.jp/)、 妙福寺様(http://myofuku.com/)、赤沢写真講様(http://fm-hayakawa.net/as_kou/)、wikipedia/さかおり様(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%B2%A2)